サッカー日本代表:歴代最強チーム(5位 2002-06ジーコジャパン)
Last Updated on 2023年12月21日 by ピントゥリッキオ
このブログでは、サッカー日本代表チームが、初めてワールドカップに出場した1998年から直近の2023年までの日本代表の最強チームのうち5位の2002ー06ジーコジャパンについて解説します。
日本代表の歴代チームの最強ランキングについてまとめていますのでまずはそちらもご覧ください!
日本代表の歴代得点ランキングについてもまとめてますので是非ご確認ください(^^)
サッカー日本代表とは?
日本サッカー協会(JFA)によって編成される日本の男子サッカーのナショナルチームです。呼称は様々で、A代表やフル代表、サムライブルーなどと呼ばれます。
年齢制限のないA代表以外にも、年齢制限のあるカテゴリーとしてU23、U19、U17代表などもあります。A代表での一番大きい大会はワールドカップとなりますが、ワールドカップはU19、U17など年齢ごとのカテゴリーの大会もあります。またオリンピックは23歳以下という制限があるため、U23代表で臨む大会となります。
日本代表はワールドカップに過去7回出場しています。1998年に初めてワールドカップに出て以降は、アジア予選を勝ち抜き、全体会に出場しています。最高成績はベスト16(2002年、2010年、2018年、2022年)です。
年齢別のワールドカップでの過去最高成績ですが、1999年に小野、高原、稲本、本山等のゴールデンエージを要したU20ワールドカップでなんと準優勝に輝いています。
5位 2002-06ジーコジャパン 最強フォーメーション
筆者が考える2002-06ジーコジャパンの最強フォーメーションは以下のとおりです!
基本的には2006ドイツワールドカップのメンバーが主ですが、FWはワールドカップ選外の久保選手を入れました。
ジーコ監督は、就任当初、海外組の中田、中村、小野、稲本をボックスで並べた「黄金のカルテット」を採用していましたが、最終的にこの4枚が揃って機能したとはいいにくい部分もあると思います。
採用するフォーメーションは、3-5-2か4-4-2か正直悩みました。
個人的なジーコジャパンベストバウトはコンフェデのブラジル戦(4-4-2)かワールドカップ直前のドイツ戦(3-5-2)だと思っていて非常に悩ましいのですが、中田はボランチではなく、中村と一緒に2列目で起用するのが最も機能すると思っているので4-4-2のボックスとしました。
このチームの一番難しかったポイントは、当時の海外組のタレントのうち、中田、中村、小野、小笠原などがベストポジション(=トップ下)が重なっていたことだと思います。中田や小野はボランチも高次元でできますが、やはり一番輝くのはトップ下でした。こうしたタレントをチームの戦術として上手く使えていればワールドカップの結果も違うものになっていたと思います。
反面、当時のボランチは稲本、小野でスタートしましたが、当時の戦術では攻守ともにバランスの取れた福西を採用したのは非常にフィットしておりよかったと思います。
そして最前線は、久保竜彦が万全の状態でワールドカップに参加できていたらどれほどすごかったことか、、悔しい気持ちがいまでもあります。
慢性的な腰痛になってしまいましたが、絶好調時は誰も止められない日本人離れした圧倒的な身体能力で活躍してくれたことでしょう。
当時の日本代表はサイドからのクロスの精度やセットプレーの精度も高かったのでそこに合わせて得点を量産する久保選手を見てみたかったです。
DFラインに注目すると中澤、宮本はラインコントロール含め連携も問題なく、特に中澤は高さもありましたので一番のコンビだったと思います。ただ押し込まれてしまうとどうしてもラインがズルズル下がってしまい、そうなると中澤以外でフィジカルで戦える選手が少なかったためやられがちになってしまうイメージがありました。よくも悪くもポゼッション次第で出来が変わる印象でした。
サイドバックについては2005年頃から加地が攻撃面で急激に成長した印象があり、ワールドカップでも決定機を演出していました。一方左サイドの三都主はクロス精度が最大の持ち味でしたが守備面では難があったため、最終ラインのコントロールも難しい部分があったのかなと思います。
ジーコは中盤のイマジネーションにかけ、多くの自由を与えていましたが、反面これといった戦術もなかったイメージです。
ですので個が活躍した試合は強豪相手でも大善戦しており、個が活躍しないとパっとしない印象でした。
ワールドカップにおいては、オーストラリア戦のラスト10分1-0で勝っている段階で小野を投入するなど明確な意図が選手にも伝わらず混乱していた印象でした。あそこは采配一つで結果は大きく変わっていたと思います。
同時に日本サッカーの将来的な発展を考えると、個の力だけではなく、戦術面を成長させる指揮官が求められると強く考えさせられるものでした。
ジーコジャパンの評価
ジーコジャパンを5位と評価したのは、ドイツワールドカップは災難でしたけど、チームが噛み合った際には世界的強豪とも互角に戦えることを示してくれた部分を大きく評価しました。
特にこのチームの鍵は中田ではなく中村俊輔だったと思います。
2003コンフェデのフランス戦、2004年アジアカップ、2005コンフェデのブラジル戦、2006年のドイツ戦、その全てで輝いていたのは中村俊輔でした。
稀代のファンタジスタがワールドカップでコンディション不良にならなければ、もっと伝説的な活躍をしたと今でも思います。
また、あふれるほどいた中盤のタレント達が、当時には主流でなかったインサイドハーフやレジスタなどを配置した戦術により活躍しやすい時代であれば更に活かすことができたのではないかと思います。
あの中盤でアイデア豊かで流れるようなパスワークで得点を奪っていく戦術は今でも目に焼き付いています。
この世代の選手が、中田を筆頭に世界での活躍の場を切り開き、後の海外移籍の後押しとなったのはいうまでもないので、日本サッカー界に非常に重要な選手達だったと思います。
(おまけ)個人的名シーン
・2003コンフェデフランス戦。中村俊輔のFKがバルデスの牙城を破った瞬間。
・2004アジアカップでのセルジオ越後さんのテンション。
・2004イングランド戦の中村→三都主→小野のゴール
・久保竜彦の欧州遠征の際のチェコ戦、フィンランド戦の圧巻のゴール。
・2005コンフェデグループリーグ最終戦ブラジル戦で、2-2の試合終盤、ロナウジーニョが日本相手に時間稼ぎをした瞬間
・2006ドイツ戦先制点、カウンターから中村→柳沢→高原でレーマンからゴールを奪った瞬間
・三都主の裏街道(未遂)
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