サッカー日本代表:歴代最強チーム(8位 2007-10第二次岡田ジャパン)
Last Updated on 2023年12月22日 by ピントゥリッキオ
このブログでは、サッカー日本代表チームが、初めてワールドカップに出場した1998年から直近の2023年までの日本代表の最強チームのうち8位の2007ー10第二次岡田ジャパンについて解説します。
日本代表の歴代チームの最強ランキングについてまとめていますのでまずはそちらもご覧ください!
日本代表の歴代得点ランキングについてもまとめてますので是非ご確認ください(^^)
サッカー日本代表とは?
日本サッカー協会(JFA)によって編成される日本の男子サッカーのナショナルチームです。呼称は様々で、A代表やフル代表、サムライブルーなどと呼ばれます。
年齢制限のないA代表以外にも、年齢制限のあるカテゴリーとしてU23、U19、U17代表などもあります。A代表での一番大きい大会はワールドカップとなりますが、ワールドカップはU19、U17など年齢ごとのカテゴリーの大会もあります。またオリンピックは23歳以下という制限があるため、U23代表で臨む大会となります。
日本代表はワールドカップに過去7回出場しています。1998年に初めてワールドカップに出て以降は、アジア予選を勝ち抜き、全体会に出場しています。最高成績はベスト16(2002年、2010年、2018年、2022年)です。
年齢別のワールドカップでの過去最高成績ですが、1999年に小野、高原、稲本、本山等のゴールデンエージを要したU20ワールドカップでなんと準優勝に輝いています。
8位 2007-10第二次岡田ジャパン 最強フォーメーション
筆者が考える2007-10第二次岡田ジャパンの最強フォーメーションは以下のとおりです!
第二次岡田ジャパンは、ワールドカップ前までは非常に評価が低かったですが、ワールドカップ直前にシステムを大幅に変えたことでワールドカップ16強を勝ち取ったチームです。
ですので、最強メンバー・フォーメーションは基本的には2010南アフリカワールドカップのメンバーとなります。
ひとつ悩んだことがあるとするとこの4-1-4-1システムだと中村俊輔選手が活きるポジションがないので選外となっております。
気持ち的にはメンバーに入れたかったのですが、そういった理由で外しました。
岡田監督は、2007年にオシム監督が倒れたことにより急きょ監督に就任しました。就任当初はオシムの「考えて走るサッカー」を継続することを宣言していましたが、結果が出なかったこともあり、岡田監督の自分のサッカーに切り替えました。この頃の岡田監督はパスサッカーを主流に掲げ4-4-2のボックスシステムを採用していました。しかし連携面やフィジカル面で上手く行かず思ったようなパスサッカーができずにいました。そして迎えたワールドカップ前の韓国戦。ここでの完敗。この時、岡田監督はシステム変更を決断しました。
新たなフォーメーションは4-1-4-1。阿部勇樹をアンカーに置くスタイルです。
これまでは善戦からのハイプレスでボールを奪っていくスタンスでしたが、このシステム変更により、強固な守備ブロックを敷き、引いて守るサッカーへと変貌を遂げました。
しかしシステム変更後も試行錯誤が続きワールドカップ前まで4連敗という流れの中で本番を迎えました。
3戦全敗、グループリーグ敗退も覚悟していましたが、ワールドカップになりチームは躍動します。守備ブロックとアンカー阿部、大久保と松井の両サイドの上下運動、そしてなんといっても本田圭佑をワントップに据えた戦術が見事にはまりました。
初戦のカメルーン戦は本田圭佑のゴールを守りきり1-0で勝利しました。
続くオランダ戦は奮闘むなしく0-1で敗退。しかし第3戦のデンマーク戦は3-1で勝利、なんと見事グループリーグを突破しました!
ベスト16入の要因は、やはりなんと言っても本田圭佑の活躍でしょう。グループリーグで2得点1アシストの大活躍で、まさに有言実行でした!
本田圭佑の得点力とキープ力に期待し、本来のポジションではないワントップに据えた岡田監督の采配は素晴らしいの一言です。
また当時は球種が「ジャブラニ」といって空気抵抗を受けやすく、いわゆるブレ球が打ちやすい球種でした。
デンマーク戦での本田選手のフリーキックはジャブラニだから成し得たものだったのかなと感じます。
いずれにせよ全てが上手くいきベスト16に進出しました。
ベスト16の相手はチリ。ベスト8進出も夢ではありませんでしたが、スコアレスのPK戦の末、日本は敗退してしまいました。
この試合でも、松井のバー直撃シュートや、本田の決定機、延長の玉田→中村憲剛のあと一歩で得点というシーンも多々ありましたが一歩及びませんでした。
それでも下馬評から考えたらとても素晴らしい好成績で、初めての自国開催以外のベスト16となりました。
第二次岡田ジャパンの評価
岡田ジャパンを8位と評価したのは、ワールドカップベスト16の成績は素晴らしかったですが、チームとして積み上げた成績ではなかった点や、かなりの守備重視の戦術(=この頃ワールドカップで勝つための唯一の方法)であったことから評価は伸びませんでした。
ただこの大会を通して本田圭佑や長友が世界的な選手に駆け上がったことはかなりの成果といえます。
余談ですが、当時、香川真司は最終メンバーに選ばれずにサポートメンバーとして参加してましたが、代表メンバーの誰よりもキレキレだったそうです。
ワールドカップ後、香川はドルトムントに行き世界的選手になったことを考えると、香川がいれば更に上も目指せたのかなという思いもあります。
いずれにせよ、ここでベスト16をとったことにより日本サッカーはまた次のステップへ歩みだしたような気がしてます。
(おまけ)個人的名シーン
・岡田監督がベスト4を掲げた際の世間からのバッシングの嵐
・トゥーリオのコートジボアール戦でのドログバ破壊(骨折)
・オランダ戦途中出場の中村俊輔がボール奪われて決定機作られる公開処刑(個人的ショックでした。。)
・阿部勇樹のアンカー起用
・本田圭佑のデンマーク戦のフリーキック
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